「互いに」で生きる

動的平衡2 生命は自由になれるのか」は、「細胞は相互補完的に役割を決める」というコラムで締めくくられている。一部を抜粋する。

 私たちヒトはおよそ60兆個もの細胞からなる多細胞生物である。そして細胞はいずれも脳細胞、肺細胞、心筋細胞、肝細胞、上皮細胞という具合に高度に専門化している。これを細胞の分化という。
 けれども、どの細胞も、もとから自分の役割を知って分化したわけではない。(中略)たった一つの受精卵として出発した細胞は、二分裂、四分裂、八分裂と倍々に増えていくが、最初のうち細胞はどれもまったく無個性で平等だ。(中略)

 しかし、細胞数がある程度増えてくると、細胞は中空のボール状の塊となる。胚である。胚の中で、いったいどんな会話が交わされているのだろう。それは喩えて言うなら、こんな感じである。君が脳の細胞になるなら、僕は肝臓の細胞になろう。そっちが皮膚を作るなら、こっちはその下にある筋肉を作ろう。細胞はお互いのコミュニケーションを通して、相互補完的に自分の役割を決めていくのである。(中略)
 自分のあり方は関係性に依存する。それゆえにこそ、生命は柔軟であり可変的であり、また適応的なのだ。

細胞という切り口からも、いのちは互いに補い合って成り立つと言える。裏を返せば、互いにが断たれると死す。関係ゆえのいのち、断絶ゆえの死。神さまが定めた秩序だ。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 (ヨハネの福音書13章34節)

上記聖書箇所での「わたし」とは、イエス・キリスト(神)を指す。まずは、「わたし」と「あなたがた」との関係が重要。その上で「あなたがた」間での関係だ。




 
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